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3代目のプロフィール

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自己紹介
高校時代はバスケットボールでインターハイ出場。
大学卒業とともに”簡単に休める”という理由で家業の畳店を手伝い始めました。
当時は遊びたい一心に、友達と毎晩夜中までカラオケ店や居酒屋に入り浸ったかと思えば学生時代に
習っていた中国語を試してみたいと仕事を放り投げて海外へ飛んでしまうダメ社員でした。

しかし入社4ヶ月が過ぎ、尊敬する祖母が亡くなったときに何かが変わり始めました。
小さい頃から病気がちだった私のことをいつも気にかけてくれていた「天国の祖母のために」と、
いつしか家に帰らず会社に泊まるほど一心不乱に働きました。

父(社長)との葛藤
ちょうどその頃初めて行った現場でこんなことを耳にしたのです。

”畳の品質なんて二の次、値段さえ安ければ良い”という現場監督の言葉が今でも忘れられません。
実はいうと当店は創業53年間、当初から下請け中心で取り扱っている畳の90%以上が品質の不透明な中国産でした。

このままではいけない」と思い立ったら即行動。
まずは良質で安心・安全な国産畳を取り扱いたいと社長に懇願。
しかし職人の世界、経験ゼロ・実績ゼロ・人脈ゼロの私の話は聞いてくれません。

「なんとかして良質な国産畳を取り扱いたい」日に日にその想いは強くなるばかり。

そんな想いが通じたのか知り合いの畳屋さんから突然連絡がありました。

「人手不足で困っている農家さんを助けに来てくれないか?」
これは願ってもいない大チャンスでした。
二つ返事で新幹線の切符を購入し、一大産地の熊本へいざ住み込み勉強へ。

良い商品を仕入れるために熊本へ
朝4時からスタートして終わるのは夜18時。農家さんの仕事は思った以上に超過酷労働でした。
夏の一番暑い炎天下の中での作業だったので畳の仕事をしている方がはるかに楽でした。

慣れない田んぼの中で初日から筋肉痛になりおまけに人生はじめてクモに刺されたりと
都会育ちの私にとって最悪のスタートでした。

さらに、3日目には腰を痛め5日目はイグサで肌が荒れて発疹が
止まらなくなり「こなきゃよかった」と心で叫びました。

クタクタになりながら1週間無事に乗り切った熊本での最終日のことでした。
お酒を飲んだ勢いか農家さんからある衝撃の事実を聞いてしまったのです。

畳業界は産地偽装がまかり通っていて、国産と偽って外国産を売る悪質業者がいる

ただでさえ国産畳が売れない状況で、さらに農家さんの仕事を経験したあとに
聞かされたので「産地偽装と戦おう!」と強く心に決めました。
日頃、お客様と接する中でこの手の畳の相談が多いことは重々に知っていました。

産地偽装と戦う
「今こそチャンスだ」と思い、国産と外国産の見分け方や悪徳業者の見分け方まで、
幅広く記載した初心者向けの「畳ガイドブック」を作ることにしました。

素人ながらも表紙のデザインから入稿まで全て自分でやりました。
しかし、出来上がった冊子を社長に見せたところ「なんだこれは!!畳屋を悪者にするつもりなのか」
とまで言われました。それでもお客様を守るためと思えばなんの迷いもありませんでした。

地元のタウン誌に掲載したところなんと初日で10部の資料請求をいただきました。
さらに嬉しいことに読んだお客様からお礼のお電話もいただきました。
この頃から気づけば畳の仕事をしている充実感が芽生え始めていた気がします。

社会活動
その後、畳を知らない子供たちのために被災地熊本県産の畳表を使用した畳を寄贈する活動を始めました。
その他にも小学校を対象とした畳の出張授業や自社での工場見学も実施。

先生の間で口コミで広がりつつあり講師としての依頼もいただくようにもなりました。
おかげさまでこれらの活動が評価されメディアにも取り上げていただけるようになり
毎日、畳のことを考える日々を送っております。

入社後一人旅で訪れた台湾で日本の製品が溢れていることを知り日本がより好きになり
今では週に一度の茶道が楽しみな27歳。

 

メディア取材歴
・神戸新聞
・サンテレビ
・朝日新聞
・毎日新聞